コクテール堂

history

エイジングコーヒー誕生ストーリー

満州で出会ったロシアの亡命貴族にすすめられたコーヒーの味

コーヒーの生豆を仕入れてから数十ヶ月もの間エイジング。全国を巡り熟成と焙煎に最適の場所を探して専門の工場を建設。直営カフェは各店舗ごとにスタイルを変え、スイーツはそれぞれ自家製。味だけでなくパッケージにもインテリアにも独自のこだわり…。どこまでもユニークな社風のコクテール堂はこんな風にはじまりました。

日本で唯一のオールド・ビーンズコーヒー焙煎メーカーとしてコクテール堂が誕生したのは、戦後まもない1949(昭和24)年。国民の多くは食べるだけで精一杯だった時代、創業者の林玄はあるコーヒーの味が忘れられずにいました。

父親(ユーモア作家の林二九太)が新聞社の特派員として満州に派遣されロシア人宅に滞在したとき、同行していた玄は毎朝飲むオールド・ビーンズコーヒーの虜となりました。
そのロシア人は、ロシア革命で国を追われ満州に辿り着いた亡命貴族。サモワールという湯沸かし器の蛇口にはダイヤモンドがついているような豪奢な生活を送っていたそうです。作品が何本も映画化された売れっ子作家を父にもち、銀座生まれの六本木育ちにとってもそのコーヒーの美味しさは格別でした。

帰国して終戦を迎えた玄は友人のアドバイスもあって、そのコーヒーを商売にしようと思いたちます。こうしてオールド・ビーンズ、後の“エイジングコーヒー”の焙煎メーカー、コクテール堂が誕生したのです。

エイジングコーヒーは、商売としては効率のよいものではありません。生豆を仕入れてから数十ヶ月もねかせなくてはなりませんし、焙煎も熟練した職人が生豆の状況や天候、気温、湿度などを考慮して、毎日調整しながら丹念に美味しさを引き出しています。その上で焙煎メーカーとして安定した品質のコーヒーを全国に滞りなく提供しなければなりません。
しかし、手間暇かけたコクテール堂のコーヒーはコーヒー通に高く評価されました。高度経済成長期を経て日本人の生活様式も代わりコーヒーを楽しむ人たちも増えていきました。

当初工場のあった国分寺に「カフェ・ド・カフェ」という直営カフェを1989年オープン。カフェの中のカフェという大胆な名前で家具やカップにもこだわりぬき、国分寺カフェ文化のルーツとも言われています。

現社長の林道男が家業を継ぐにあたり、真っ先にしたのはブラジルへ飛びコーヒー修行。コーヒーについては誰よりも詳しく研究熱心なのはもちろん、安価なコーヒーチェーンや自家焙煎の店が増えている中でつねにプラスアルファを考えています。兄の林峰男は世界的なチェロ奏者であり、自身もサッカー実業団チームの監督を務めるなど、何事も深く追求する林家の血は脈々と受け継がれています。
例えば商品パッケージや店舗の絵画は自社スタッフによるもの。パッケージの「Coffee」という文字のカリグラフィーはヨーロッパの専門家に依頼しました。直営カフェは複数展開しながらも画一的にはせず、全て店舗ごとに内装もメニューも変え、地域独自の店にするなど、コクテール堂ならではのオリジナルを求める姿勢は変わることがありません。

シニア世代のコーヒー好きの方は「おいしいコーヒーをどうぞ」という木製の看板を覚えていらっしゃるかも知れません。かつてコクテール堂のコーヒーを使っていた喫茶店には必ずこの看板がかかっていました。シンプルなメッセージにはさまざまな創意工夫と熱意がこめられています。ぜひ、コクテール堂の「おいしいコーヒー」をどうぞ。